山川豊さんの闘病と歌手活動の経緯について
山川豊さんが肺がんを発見したきっかけは、2023年10月27日に受けた血液検査でした。
この検査で腫瘍マーカーの数値が「78」という異常値を示しており、通常の基準値(一般的には10以下)を大幅に超えていました。
この結果により、がんの可能性が疑われ、精密検査を受けることになりました。
過去の検査履歴とコロナ禍の影響
山川さんは数年前から腫瘍マーカーの数値が少し高めであることを認識していましたが、コロナ禍による外出自粛や医療機関への受診控えが影響し、精密検査を受ける機会を逃していました。
このため、早期発見のチャンスを失い、病気が進行してしまった可能性があります。
精密検査の実施
11月中旬には内視鏡検査と血液検査を行い、その結果「要精密検査」と判断されました。
12月には造影剤を用いたPET検査やCTスキャンなど、本格的な精密検査が実施され、「肺がん」と正式に診断されました。
診断結果の詳細
精密検査により、山川さんの肺がんには以下の特徴があることが判明しました:
•ステージ4:進行性の肺がんであり、非常に深刻な段階。 |
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診断直後の心境
診断結果を聞いた際、山川さんは「ステージ4」と告げられた瞬間、「あぁ、そうですか……」と答えるのが精一杯だったと振り返っています。
さらに医師から「脳に2カ所飛んでいます」「脊髄にもあります」と説明された際には、大きな衝撃を受けました。
最初の3日間は「仕方ない」と冷静に受け止めようとしましたが、その後恐怖感に襲われ始めました。
夜には眠れず、不安や孤独感に苛まれる日々が続きました。
一人暮らしという環境も精神的負担を増大させ、「精神的に相当やられた」と語っています。
過去の生活習慣との関連
山川さんは診断前までヘビースモーカーであり、「病院に行く直前までタバコを吸っていた」と述べています。
この生活習慣も肺がん発症に影響した可能性があります。
家族と兄・鳥羽一郎さんからの支え
診断結果を聞く際には、長男(マネジャー)や元妻も同席しており、その場で家族から励ましを受けました。
また、闘病生活では息子や娘、元妻から日常生活や食事面でサポートを受けるようになり、「本当に感謝している」と述べています。
兄・鳥羽一郎さんの励まし
診断後、最初に連絡した人物は兄・鳥羽一郎さんでした。
山川さんが弱音を吐き、「葬式や墓」の話まで持ち出した際、鳥羽一郎さんは「バカ野郎!どんなことをしてもいいから治せ!」と叱咤激励しました。
この言葉によって山川さんは奮起し、「絶対に治す」という決意を固めたと語っています。
闘病中の心境と支え
精神的な苦痛
夜には恐怖で眠れない日々が続き、夢では世話になった人々が現れるなど、精神的な負担が大きかったと山川さんは語っています。
一人暮らしでの闘病生活は、孤独感も伴いました。
家族のサポート
山川さんの闘病生活を支えたのは、家族の存在でした。息子は家事のサポートを、元妻と娘は栄養補助などのケアを行いました。
息子や娘、元妻からの日常的なサポート(食事や薬塗布など)に感謝しており、「家族のおかげでここまで来られた」と語っています。
一人暮らしだった山川さんですが、家族との絆が精神的な支えになっています。
山川さんは「本当に感謝している」と家族の支えの大きさを語っています。
歌への情熱
一度は歌うことを諦めかけた山川さんですが、「歌えるならずっと歌いたい」という思いが彼を支えました。
歌うことで病気のことを忘れる瞬間があると語り、それが闘病の励みとなっています。
ファンとの絆
インスタライブなどを通じて、山川さんは自身と同じく闘病しているファンにエールを送り、「僕も頑張るから、一緒に乗り越えよう」と励ましました。
ファンとの交流も山川さんにとって大きな励みとなっています。
復帰後初のステージでは、「皆さんのおかげでここまで来られました」と感謝を述べています。
治療の効果と現在の状況
山川豊さんの治療の進捗と現在の状況について、以下の詳細が明らかになっています。
•病状の改善
山川さんは、抗がん剤「タグリッソ」を用いた治療を継続しており、その効果により病状は改善傾向にあります。•脳と脊髄の転移部分
脳に2カ所確認されていた転移は、治療の結果「小さくなった」と医師から報告されています。
特に脊髄への転移部分については、「治っていた」と医師も驚くほど良い状態になっており、消失が確認されるほど改善しています。
•肺がん本体
肺がん自体も縮小傾向にあり、進行は抑えられています。
ただし完全に治癒したわけではなく、引き続き経過観察と治療が必要な状況です。
•副作用との共存
抗がん剤治療に伴う副作用(発疹、口内炎、むくみなど)は継続していますが、山川さん自身は「日常生活には差し支えないレベル」と前向きに語っています。
特に発疹は一時期座ることもできないほど重症でしたが、現在は軽減しています。
経過観察と活動再開
毎月、脳と胸部のCTやMRI検査を受けており、新たな転移や進行がないかを慎重に確認しています。
また、副作用として懸念される間質性肺炎にも注意を払いながら治療を継続中です。
2024年4月から歌手活動を再開し、それ以降も精力的にステージに立っています。
2024年10月15日には66歳の誕生日を記念したディナーショーを開催しました。
このイベントでは新曲「兄貴」を披露し、ファンの前で約1年ぶりとなるワンマンステージを成功させました。
山川さんは「ステージ4と言われたときは、もう仕事ができないと思っていた。
こうやって歌えることが本当にうれしい」と感慨深く語っています。
歌手としての意欲
山川さんは歌うことで「病気のことを忘れる瞬間がある」と述べており、音楽活動が精神的な支えとなっています。
「今年もなんとか頑張って皆さん方の前で歌を歌いたい」と意欲を示しており、「がんと共存する」という姿勢で日々を過ごしています。
また「3年このままの感じで歌えれば最高」と語り、現状維持を大切にしながら闘病生活を送っています。 |
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病気への恐怖や不安は完全には消えていないものの、「光が見えた感じ」と述べるなど、希望を持ちながら治療に取り組んでいます。
今後の展望
山川さんは現状維持を第一目標としつつ、音楽活動を通じて多くの人々に希望と勇気を届けることを目指しています。
「現状維持というのがすごく大事ですから」と語りながらも、「休みなしで仕事をやり続けたい」という強い意欲を示しています。
今後も定期的な検査と治療を継続しながら、ファンとの交流やコンサート活動など、自身のペースで前向きな人生を歩む予定です。
山川豊さんの歌手としての経歴
デビューと初期のキャリア
山川豊さんは1981年2月5日、22歳の時に「函館本線」でデビューしました。
このデビュー曲は、B面に収録された「おんなの宿」がきっかけとなり、念願のデビューを果たしました。
デビュー直後は、寝る間もないほど全国を飛び回り、精力的に活動していました。
デビュー曲「函館本線」は大ヒットとなり、1981年末の第23回日本レコード大賞で新人賞を受賞するなど、数多くの新人賞を獲得しました。
NHK紅白歌合戦出場
山川さんのNHK紅白歌合戦出場回数は、実際には11回であることが分かりました。
初出場:1986年(第37回)「ときめきワルツ」で初出場
その後:1992年〜1994年(連続3回)、1997年〜2001年(連続5回)、2003年、2005年
特筆すべきは、2003年の第54回NHK紅白歌合戦で、デビュー曲「函館本線」を紅白で初めて歌唱披露したことです。
代表曲と音楽活動
山川さんの代表曲は多岐にわたります。
デビュー曲「函館本線」の他、以下の曲が特に有名です:
「ときめきワルツ」(1986年)
「北斗星」(1989年)
「しぐれ川」(1990年)
「夜桜」(1992年)
「アメリカ橋」(1998年)
「ニューヨーク物語り」(2007年)
「霧雨のシアトル」(2009年)
特に「アメリカ橋」(1998年)は大ヒットを記録し、その後「ニューヨーク物語り」「霧雨のシアトル」と共に”アメリカ3部作”として注目を集めました。
受賞歴と音楽スタイル
山川さんは数々の音楽賞を受賞しています:
1981年:FNS音楽祭新人賞、第12回日本歌謡大賞最優秀新人賞、第23回日本レコード大賞新人賞
1984年:第5回古賀政男記念音楽大賞
1992年:第34回日本レコード大賞最優秀歌唱賞
山川さんの歌唱スタイルは、特徴的な声質と情感豊かな表現で知られています。
デビュー曲「函館本線」の歌詞は、恋人の元を離れ、北国へひとり帰る女性の悲しい心情を綴った内容で、山川さんの歌唱力が存分に発揮されています。
山川豊さんは活動再開後はテレビ出演やコンサートなど精力的に活動し、2024年末までに13本以上のステージに立つなど、その姿勢は多くの人々に感銘を与えました。
また山川さんは闘病中にもかかわらず、新たな挑戦として兄・鳥羽一郎さんとの初デュオ作品『俺たちの子守唄』をリリースしました。
この楽曲では、故郷や両親への思いが歌われており、演歌界で長いキャリアを持つ二人の絆が表現されています。
このコラボレーションは、「病気なんかに負けていられない」という山川さん自身の強い意志の表れでもありました。
また、山川さん自身も新曲『兄貴』を発表し、自身の人生や家族への思いを込めた楽曲でファンにメッセージを届けています。
今後の予定
2025年4月19日には「演歌の夢まつり2025」に出演予定であり、それ以外にも複数のコンサートやテレビ番組出演が控えています。 山川さんは自身の闘病経験を通じて、がん患者やその家族、そして広く一般の人々に向けて、希望と勇気のメッセージを発信し続けています。 彼の姿勢は、多くの人々に生きる力を与えています。山川豊さんの闘病と歌手活動の経緯は、困難に直面しても諦めず、前を向いて生きることの大切さを私たちに教えてくれます。 彼の強い意志と周囲の支えが、今後も彼の活動を支える大きな力となることでしょう。 |
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出典:2002全曲集 |
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